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馬産地往来

2007年10月1日

ワカオライデンの死に思う

地方の名馬にも名種牡馬の道を

後藤正俊

 種牡馬ワカオライデンが9月21日、 けい養先の安平町・吉田牧場で老衰のため死亡した。 26歳だった。
 今年も多くのかつての名馬がこの世を去ったが、 そのなかでこの馬だけをここで敢えて取り上げるのは、 同馬は一般の競馬ファンが認識しているよりもはるかに大きな貢献を、 生産界、 地方競馬界にもたらした馬だったからだ。 地方競馬の成績が買われて種牡馬入りした馬が数多くいるなかで、 地方競馬リーディングサイアーまで昇り詰めたのはワカオライデンとフェートメーカーだけなのだ。
 ワカオライデンは吉田牧場の生産馬で、 父ロイヤルスキー、 母オキワカ。 叔父にはあのテンポイントがいる血統で、 JRA戸山厩舎に入厩したときから注目されていた。 3歳春に故障して出世が遅れたが、 3歳秋から3連勝してオープン入りし、 続くセントウルSでも2着。 4歳時にはニシノライデンの降着による繰り上がりだったものの朝日チャレンジCを勝って重賞ウイナーの仲間入りを果たした。
 その後も天皇賞・秋、 マイルCSとGIに駒を進める活躍をしたが、 5歳夏に再び故障。 地方競馬へ転出した。
 最初に移籍した金沢では3戦2勝で白山大賞典を制覇。 そのあとに笠松に移り、 ゴールド争覇、 東海菊花賞、 名古屋大賞典、 ウインター争覇と、 いずれも圧勝の連続で金沢時代を含めて重賞5連勝を達成。 ウインター争覇は61キロを背負ってのものだった。
 東海ゴールドCであのフェートノーザンに1馬身及ばず2着に敗れたが、 翌年のサマーCを勝って引退。 通算成績はJRA18戦6勝、 重賞1勝。 地方9戦7勝、 重賞6勝。 大型馬のため常に脚部不安を抱えながら見事な成績を残した。
 引退後は地方競馬での圧倒的な強さと、 テンポイントの甥という血統が買われて種牡馬入りしたが、 馬産地では地方競馬の活躍馬は知名度の低さから人気がない。 良い産駒が誕生したとしても馬主から見向きもされなかったら売れ残って苦しむだけだからだ。 そのため当初の交配申込みはほとんどなかった。
 だがその窮地を救ったのが、 笠松時代に管理していた荒川友司調教師だった。 ワカオライデンの強さに惚れ込んでいた荒川師は 「生まれたワカオライデン産駒は全部買う」 と生産者に宣言して交配牝馬を集めた。 その甲斐あって初年度産駒は22頭が誕生。 そして約束通りにその産駒のほとんどは荒川師から紹介された馬主に購入され、 荒川厩舎と、 荒川師と親しい笠松の厩舎に入厩した。
 92年にデビューした初年度産駒たちは、 まるでその後のサンデーサイレンス産駒のように、 軒並み快進撃を開始した。 サブリナチェリー、 ツキハシレ、 ライデンスキーらが2歳時から重賞競走の上位を独占。 種牡馬として極めて優秀な能力を有していることを知らしめた。
 そして種牡馬ワカオライデンの名が一躍全国へ鳴り響いたのは3年目産駒のライデンリーダーの登場による。 中央・地方交流元年となった95年の桜花賞トライアル・報知杯4歳牝馬特別を快勝して、 桜花賞では1番人気に推された。 結果は4着に終わり、 オークスは13着、 エリザベス女王杯も13着とクラシック制覇こそ実現できなかったが、 地方にもJRAクラシックを賑わせられる実力馬がいたこと、 そしてそれが父ワカオライデンという目立たない血統馬だったことは、 JRAファンの心に焼きつき、 地方競馬ファンに大きな勇気を与えた。
 産駒の活躍で交配頭数もどんどんと増えて行ったワカオライデンは、 97、 99年の2回、 地方競馬リーディングサイアーを獲得、 24歳となる05年まで種牡馬生活を続けた。
 JRAとはまったく形態の違う地方競馬なのだから、 その地方競馬の最強馬が種牡馬となってチャンピオンになることは不思議なことではないのだが、 現実は違う。 いまでも地方競馬出身種牡馬は交配相手集めに苦労して成績を残せていない。
 大井の最強馬、 アジュディミツオーがワカオライデンと同じような道のりを歩むことは難しいかもしれないが、 地方競馬を盛り上げるためにも、 ワカオライデンを目標にして何とか続いてもらいたいものだ。





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