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日高便り

2022年4月25日

令和4年・春

北海道事務所・遠藤 幹

 今から36年前の4月に、私は㈱サラブレッド・ブリーダーズ・クラブに入社した。父から譲り受けた中古のサニーをおぼつかない運転で操りながら会社に向かったあの日を、今でもありありと思い起こすことができる。今でこそ北国の春を風のにおいや日差しの強さで即座に感じ取ることができるが、その当時の私にとって、春爛漫の古都鎌倉から引っ越してきて初めて目にした日高の風景は、いつまでたっても冬枯れのままであった。私は慣れない仕事と生活に戸惑いながら、いったい春はいつ来るのだろうかと不安に思っていた。
 シンボリルドルフとミスターシービーが競馬界に身を投じるきっかけとなった当時の私には、もう1頭大好きな馬がいた。短距離王ニホンピロウイナーである。日本中央競馬会がグレード制を導入し、距離の体系を整備した頃で、安田記念、マイルチャンピオンシップ(2回)などの短距離重賞を総なめにして1200~1600m戦では無類の強さを発揮した。入社時には既に種牡馬入りして、私の会社社長の牧場である下河辺牧場で繋養されており、シンジケート事務局はサラブレッド・ブリーダーズ・クラブであった。父のスティールハートによく似て、黒鹿毛のほれぼれとするスプリンター体形のニホンピロウイナーは、馬産地での評価も大変高かった。毎年60頭(当時は産駒の希少性を高めるため余勢を取らないのが普通であった)の種付けをしっかりこなし、受胎能力も極めて優秀で、種付け権利は高値で取引されていた。ヤマニンゼファー(天皇賞・秋、安田記念2回)やフラワーパーク(高松宮杯、スプリンターズS)といった活躍馬を輩出し、現役時同様に種牡馬としても成功を収めた。晩年はブリーダーズ・スタリオン・ステーションに入厩し、ごく身近に本馬と接する機会が持てたことも今では懐かしい思い出だ。
 そのニホンピロウイナーの馬主であった小林百太郎様が、3月27日に93歳でお亡くなりになった。生前よりニホンピロウイナー会の事務局として小林オーナーとお付き合いがあったが、ウイナーの種牡馬引退後も、ご自身が所有される繁殖牝馬のことで、毎年十数頭分の配合申し込みや取り次ぎをさせていただき、私自身は若輩の頃から今に至るまで大変お世話になった馬主様のお一人だった。競馬を大変楽しんでいらっしゃったオーナーだが、配合にも大変造詣が深く、ご自身の繁殖牝馬の配合も熱心に研究されていた。
 ある時こんなことがあった。弊社で手配した種牡馬の種付け権利を配合する予定の牝馬が配合できる状態にならず、購入した権利が宙に浮いてしまった。高額な権利だったので、私はオーナーに進言して別の繁殖牝馬にこの種付け権利を充てるようにお話ししたところ、オーナーは「この種馬では○○のクロスがきつくてあかんのや!」と当方の提案を一蹴されたのだった。確かに血統表をよく見ると同じ種牡馬の多重クロスが幾つもできてしまい、近親交配が大変きつく感じる。それを血統表も見ることなしに、即座に当方の提案を却下されたオーナーの知識と研究心には、私なんぞが到底かなうものではなく、ただただ脱帽するしかなかった。
 御年90に近づくまで毎年春先に電話でやり取りをさせていただき、配合をお決めいただいた。現在レックススタッドに種牡馬として繋養されているニホンピロアワーズ(ジャパンCダートの優勝馬)の産駒に大変期待を寄せていらっしゃった。思えば初期の頃からホワイトマズル(ニホンピロアワーズの父)を大変評価されて、ご自身の繁殖牝馬に何度も配合されていらっしゃった。そして遂にはアワーズを作り出すことができたのだから、本当に慧眼の至りとしか申し上げる言葉がなかった。
 4月初旬に大阪府の堺市中心部にほど近い齋場で行われた通夜と葬儀に、私は参列させていただいた。ご兄弟で創業された会社の優秀なエンジニアとして、仕事に没頭されて社業を繁栄に導き、そして競走馬にも一途に熱い情熱を注ぎこまれ、馬主を63年もお続けになったことを、ご子息の英一様からお聞きした。遺影は作業服を着て工場の現場にいらっしゃるエンジニアのお顔をしていた。配合種牡馬を一通り決めて最終確認をするとオーナーはいつも「よっしゃ!」の一言を発せられた。英一様のお話では仕事でも最後の確認を取ると「よっしゃ!」でゴーサインを出されたのだそうだ。そのゴーサインの言葉はもう聞けない。本当にお世話になりました。
 斎場を出て最寄りの駅まで歩く途中、至るところでソメイヨシノが満開に咲き誇っていた。サクラの花がぼんぼりの様にふんわり枝にまとい、薄ピンクの綿菓子のような風情である。日高のエゾヤマザクラとは全く違うたたずまいだ。その見事な咲きっぷりに心が揺れ動き、その時ふと気づいた。私が本州で満開のソメイヨシノを見たのも実に36年ぶりなのである! 私は今年59歳になる。

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