2026年6月25日
軽種馬産業繁栄の陰で
5月下旬の休日、新ひだか町静内地区から山あいへ向かって車を走らせた。市街地を抜けると、やがて牧場地帯が広がってくる。目名の岡田牧場を過ぎ、静内山田牧場、御園のフジワラファーム、藤原牧場、さらに最奥の農屋の畠山牧場へ。この道を走るのは久しぶりだったこともあり、見慣れた風景でありながら、どこか新鮮な気持ちになった。後背地の山々は初夏の緑に包まれ、放牧地では親仔の馬がのんびりと草を食んでいる。新しく牧柵を巻き直した牧場や、真新しい看板を掲げた牧場も目につき、環境整備に力を入れる牧場主たちの意気込みが伝わってきて、実に気持ちの良いドライブだった。
しかしその一方で、牧場と牧場の合間に点在する一般住宅には、空き家が目立った。中には、見るも無残に朽ち始めている家屋もある。軽種馬産業は好調を維持しているにもかかわらず、地域を離れる住民は少なくないのだろう。家主を失い、相続されないまま放置された家もあるのかもしれない。
日高地域は7町で構成され、その面積は東京都の2.2倍にも及ぶ。しかし人口は、2025年10月時点で5万7485人。30年前の1995年には8万9937人だったから、わずか30年で3万2000人以上、率にして3割を超える人口が失われたことになる。人口減少は全国的な問題とはいえ、改めて数字として突きつけられると、その大きさに愕然とする。
もっと短いスパンで見ても、この地域の変化は著しい。2021年には日高本線の鵡川─様似間が廃線となり、地域から鉄道が姿を消した。静内の国道235号沿いには大型店舗が並び、そこだけを見れば地域随一の賑わいを保っている。しかし旧市街地のみゆき通りや、浦河町中心部の商店街では、閉店した店舗が目立ち、いわゆる「シャッター街」の光景が広がっている。
さらに身近なところで言えば、私の住む日高町厚賀地区も、この10年で大きく様変わりした。かつて地域経済を支えていた木材会社が倒産し、社員家族が地域を去った。農協ストアは撤退し、飲食店も次々に閉店。いま営業している店は数えるほどしかなく、周囲には空き家が増え続けている。昨年には厚賀中学校が閉校し、門別中学校へ統合され、子どもたちは片道20キロ近くのバス通学を強いられている。徒歩圏内で食品や日用品を買えるのは、北海道の地場コンビニであるセイコーマート1軒のみ。車を持たない高齢者にとっては、町営のデマンドバスが唯一の移動手段だ。笑えない話だが、町内会の回覧板ですら、高齢者の入院などで途中で止まってしまうことがある。SNSでの情報共有も考えたが、スマートフォンやSNSが使えない方も多く、簡単にはいかない。
その一方で、軽種馬産業だけを見れば、この10年は好況が続いている。生産者の意欲は高く、新たな生産牧場や育成牧場の開業も相次ぐ。日高町富川のブリーダーズ・スタリオン・ステーション周辺では、Bloomingグループによる中期育成牧場やトレーニング施設の建設が急ピッチで進んでいる。清畠地区にはノーザンファームの広大な放牧地が広がり、隣接してノースヒルズの放牧地や厩舎群も立ち並び、業界の拡大基調を示唆するようなスケールの大きな開発が続いている。
そんな中にいると、つい見落としてしまうのだが、私の住むこの日高地域は、まぎれもなく地域の衰退が急速に進む場所なのだ。東京へ出張に行くたび、その落差を強く感じる。モノレールの車窓からは、建設中の高層ビル群が次々に目に入る。大手町や六本木を歩けば、整然とした歩道、丁寧に植え込まれた木々、ガラスが輝く高層ビル、おしゃれで洗練されたカフェ……日本の中心部とは、これほどまでに美しいのかと思わされる。もちろん、東京と日高の田舎町を単純に比べることはできない。それでも、札幌や、私の生まれた仙台の中心部と比べてさえ、東京の圧倒的な活気と都市の美しさは群を抜いており、地方の中核都市ですら大きく差をつけられているのだ。競馬はいまやネットで楽しむ時代であり、多くのファンは首都圏や関西圏にいる。その巨大な購買力によって、私自身も仕事ができているわけだが、ここまで地域間の差が広がると、何とも複雑な気持ちになる。
この地域、日高では、車を持ち、働けるうちは、多少の不便があっても生活は成り立つ。店が少なくても、選択肢が限られていても、それほど深刻な問題には感じない人が大半だろう。しかし、ひとたび高齢となり、車を運転できなくなったとき、この地域で暮らし続けることは急激にハードルが高くなるのだ。
20年後、私はどこで、どのような暮らしをしているのだろうか。そんなことを考えながら、初夏の牧場地帯を走っていた。