2023年6月23日
夢が広がるリバティアイランドのぶっちぎり勝ち
5月21日に行われた第84回オークスは、単勝1.4倍の断然1番人気に推されたリバティアイランドが2着ハーパーに6馬身差をつけ、2分23秒1のタイムで圧勝した。直線大外から一気に追い込んだ桜花賞とは一転して、好位につけて直線早めに抜け出す横綱相撲。それでいて上がり3ハロンはメンバー最速の34秒0をマークしたのだから、まさに役者の違い。レース後に発表されたレーティングは120ポンドで、ジェンティルドンナやアーモンドアイらの115ポンドを大きく超えてレース史上トップになったのも当然だろう。早くも「歴史的名牝」と称して差し支えのない内容だった。
オークスでの2着馬との最大着差は1947年トキツカゼの大差を筆頭に、43年クリフジの10馬身、66年ヒロヨシの9馬身などがあったが、当時はまだ競走馬資源が乏しく優劣差がはっきりしていた時代だった。70年代以降に限れば、75年テスコガビーの8馬身が最大で、今回のリバティアイランドは70年ジュピック、80年ケイキロク、2012年ジェンティルドンナの5馬身を超えて2番目に大きな着差となった。走破タイムも19年ラヴズオンリーユーの2分22秒8に次ぐものだったが、一般的に走破タイムが速くなるほど着差がつきにくい傾向にある。時代、馬場の違いもあるがテスコガビーの勝ちタイムは2分30秒6(稍重)、ジュピックは2分40秒6(不良)、ケイキロクは2分32秒3(重)だった(ジェンティルドンナは良馬場で2分23秒6)。ちなみに、2分22秒台のラヴズオンリーユー、23秒台のジェンティルドンナ、アーモンドアイはいずれも海外のビッグレースを制している。23秒9だった昨年のスターズオンアースとともに、リバティアイランドの今後の海外遠征にも大きな期待がかかる。
「ぶっちぎり勝ち」は競馬ファンの心を熱くするものだ。私のような年配ファンにとっては、そのテスコガビーの1975年桜花賞をはじめ、ヒカルタカイの68年天皇賞(春)、マルゼンスキーの76年朝日杯3歳Sなどの大差勝ちレースは忘れられないものになっている。G1級レース以外ではハイセイコーの74年中山記念の大差勝ちが深く印象に残っている。大井時代からぶっちぎりの連続でその名を轟かせていたハイセイコーは、中央入り後も弥生賞、スプリングS、皐月賞、NHK杯と無傷の連勝を10まで伸ばしたものの、ダートだった大井時代のようなぶっちぎりレースはなく、鳴りを潜めていた。ダービーで連勝が途切れ、その後も京都新聞杯、菊花賞、有馬記念で惜敗。アメリカジョッキークラブCではまさかの9着大敗でライバル・タケホープと立場が逆転。空前のハイセイコー・ブームも収まりつつあったのだが、不良馬場となったこの中山記念でそのパワーを遺憾なく発揮し、2着トーヨーアサヒに2秒差、3着タケホープに2秒2差をつけて、「ぶっちぎりのハイセイコー」が見事に復活。大井時代からのファンにとってはまさに留飲が下がるレースだった。
世界的には、さすがに20勝で計100馬身以上の差をつけたと言われているマンノウォーの時代は書物でしか知らないが、オンタイムで見ていた馬ではセクレタリアトが筆頭だ。73年ベルモントSでの31馬身差は半世紀が経過した今でも米国競馬の伝説として語り継がれている。着差もすさまじいが、従来のレコードを2秒6も短縮する2分24秒0は、現在でもダート12ハロンの世界レコードとして君臨している。セクレタリアトの大差勝ちはこのベルモントSだけだったが、ともに2着に2馬身半差をつけたケンタッキーダービー(ダート10ハロン)は1分59秒4、プリークネスS(ダート9.5ハロン)は1分53秒0(2012年のビデオ解析で認定)で、三冠すべてをレコード勝ち。米国三冠のレースレコードは現在もすべて同馬が保持している。また引退前の2戦は芝レースに出走し、マンノウォーS(12ハロン)で5馬身差レコード勝ち、カナディアン国際チャンピオンシップS(13ハロン)も6馬身半差勝ちを演じた。計21戦16勝のうち2着に5馬身以上の差をつけたレースは7回(レコードは6回)。まさに「ぶっちぎりの帝王」だった。
「セクレタリアトの再来」と騒がれたのが昨年引退したフライトライン。6戦全勝で2着との着差合計は71馬身。最大はG1パシフィッククラシックSの19馬身1/4、最小でもG1メトロポリタンHの6馬身だったのだから、ケガによりデビューが大幅に遅れ米国三冠には出走できなかったとはいえ、米国競馬ファンが熱狂したのも当然のことだろう。今春からレーンズエンドファームで種牡馬入りしており、再び競馬ファンを熱狂させるような「ぶっちぎり2世」の誕生が待たれる。