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馬産地往来

2012年6月20日

2歳新馬戦 早くもスタート

ネオユニヴァース 再ブレイクの予感

後藤 正俊

 第79回日本ダービーは、09年セレクトセール当歳市場において3100万円で取引されたディープブリランテが栄光の座に就いた。セレクトセール出身でダービー馬となったのはキングカメハメハ、ディープインパクトに続いて3頭目。父ディープインパクトとのセール出身親子によるダービー制覇は、極めて意義深いもので、日本の軽種馬市場にとって、そしてセレクトセールにとって金字塔となった。
 その大激戦だった日本ダービーの興奮も覚めやらぬ翌週から、今年はJRA2歳戦がスタートした。例年より2週間の前倒しとなるだけでなく、東京、阪神開催から開幕することで、注目度が高まった。JRAでは「ダービーからダービーへ」をキャッチフレーズにした新たな競馬サイクルを確立するとともに、これまで馬券売り上げの面では苦労していた2歳戦の注目を高めることで、業績回復を図りたい考え。北海道の競馬ファンからすると「早い時期の有力2歳戦のメインステージは函館、札幌で」との思いもあるが、2歳戦の充実はセリ市など馬産地とも深い関係があるだけに、欧州並みに2歳戦の地位が向上することには歓迎ムードが強い。
 2週間の前倒しについて育成牧場では「ホッカイドウ競馬は4月下旬から2歳新馬戦がスタートしているし、2歳トレーニングセールも開催されているのだから、仕上げに関してはまったく問題ない。ただ、牧場との入れ替えが頻繁にできる北海道開催と違って、東京、阪神だと美浦、栗東への入厩が必要となり、3歳未勝利馬を勝ち上がらせることがもっとも重要な課題となっているこの時期に、果たして2歳馬のための馬房がどれだけ用意できるのかが最大の課題」と語っていた。
 2歳戦開幕週となった6月2、3日の東京、阪神の出走頭数は、東京が11頭、11頭、阪神が7頭、11頭とまずまずの頭数がそろったが、昨年までの北海道開催でも2歳オープン、500万条件はホッカイドウ競馬からの出走馬頼りになっていたことを考えれば、今後の出走頭数確保が大きな課題となってきそうだ。
 その開幕初日、阪神・新馬戦(芝1600メートル)は7頭立てだったものの、好素質馬がそろって見応えのあるレースとなった。上がり33秒3の末脚で差し切り、JRAでは世代トップの勝ち馬となったトーセンパワフル(牡・角居厩舎、父ネオユニヴァース、母アコースティクス)は09年日本ダービー馬ロジユニヴァースの全弟という良血馬。兄は左前脚の湾曲で遅くまで買い手が付かない馬だったが、この全弟は10年セレクトセール当歳市場で1億1200万円という最高価格で取引された期待馬。500キロ近い大型馬のうえ、血統的にも早熟とは思えないこのレベルの良血馬は、通常はじっくりと仕上げていくものだが、同馬は4月19日という早い段階で栗東へ入厩し、狙いすましてこの開幕戦を制した。
 今後はいったん牧場に戻り、札幌2歳Sから来春へ向けてゆったりとしたローテーションを取っていくと考えられる。ダービー兄弟制覇、セレクトセール出身馬として4頭目のダービー馬となる可能性も十分にある。そうなれば早い時期の2歳戦が今後ますます注目されていくことだろう。
 今年の2歳一番馬がネオユニヴァース産駒で、そのレースの2、3着がステイゴールド、ディープインパクト産駒だったことは、今後の2歳戦の楽しみな展開を予感させている。初年度産駒からダービー馬ロジユニヴァース、皐月賞馬アンライバルド、2年目産駒から皐月賞、有馬記念、ドバイワールドCを優勝したヴィクトワールピサを輩出したネオユニヴァースだが、4世代目となる現3歳世代は重賞勝ち馬がまだいない不振で、ディープインパクト旋風の影に隠れてしまったが、産駒デビュー前だったこの世代の種付け頭数は大きく減少していた。
 だが5世代目となる現2歳勢は初年度産駒の大ブレイクによって、種付け頭数は全種牡馬のなかでも断トツの251頭(2位はクロフネの212頭)と前年より82頭も多くなっている。交配牝馬のレベルも極めて高く、トーセンパワフルのほかにも、ディープインパクトの半妹、トーセンジョーダンの半妹、ジェンティルドンナの半弟、ヴィクトワールピサの全妹などもデビューに備えている。まさに黄金世代である。

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