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馬産地往来

2011年8月25日

逆風下に現出した奇跡のセリ

「攻め」に徹した主催者と購買者

後藤 正俊

 信じられない光景だった。
 発足以来、驚異的な売り上げを記録してきたセレクトセールだったが、経済不況、馬券の売り上げ低下に伴い、この4年間は売り上げ減少が続いていた。さらに今年は3月の大震災で東北・関東地方は壊滅的な打撃に襲われ、しかも原子力発電所の事故で将来的な展望もまったく見えない状況が続いている。
 実質的に被災された馬主もいたし、それ以上に「この状況下で高額なサラブレッドを購入するのはいかがなものか」という自粛を促す空気も強く漂っていた。高額馬の激しい競り合いこそが目玉であるセレクトセールにとって、この空気は強烈な逆風だったはずだ。
 ところが蓋を開けてみると、その予測は根底から覆された。初日の1歳セールは落札率が1歳市場最高の84・5%で売上総額47億2600万円。2日目の当歳市場も73・2%の落札率を記録して44億4720万円。2日間トータルで91億7320万円を売り上げて、前年対比26億7710万円の増加。4年連続で減少を続けてきた売り上げが一転して大幅増加したのだから、まさに奇跡としか言いようがない結果だった。
 セリ開始当初は確かに重い空気に包まれており、セリも活発には展開されていなかった。だが51番目に「エアグルーヴの2010」(牝、父ディープインパクト)が登場した瞬間に、明らかに空気が変わるのが見えた。屋内の会場がパッと明るくなり、購買者たちのエネルギーに満ち溢れた。8000万円のお台に対して会場のあちらこちらから一斉に声が掛かる。どの声を取っていいのか鑑定人が迷うほどで、指名する間もないままに1000万円単位で価格が跳ね上がっていく。この数年は見られなかったセレクトセールならではの光景だった。
 最終的には2人の争いとなり、複数の馬主で構成されるグローブエクワインマネージメント(有)の多田信尊氏が"トーセン"の島川隆哉氏を退けて3億6000万円で落札を決め、会場は感嘆の拍手に包まれた。これぞ、セレクトセールだった。
 もちろんこの成功には主催者サイドの懸命な努力があった。「エアグルーヴの2010」のような馬は本来ならばノーザンファームの基礎繁殖牝馬となるべき門外不出の存在であり、通常ならセリ市で売却されるなど考えられないことだった。ほかにもそのような馬は数多く見られた。危機的な状況だからこそ、最高のラインナップを揃えようという意気込みが強く感じられた。またこれだけの目玉を序盤戦に配置したのも、その後の流れを変える意味で、主催者サイドの作戦が大成功だった。
 そんな思惑を大きく上回る成果は、購買者の意気込みによってもたらされた。「エアグルーヴの2010」を最後まで競り合い、さらに2億6000万円で「マイケイティーズの2010」(牡、父キングカメハメハ)など高額馬を数多く競り落としてセレクトセールに活気を呼び込んだのは被災地・仙台で会社を経営している島川隆哉氏だった。島川氏の経営するジャパンヘルスサミット本社は、震災により大きな被害を受けていたが、懸命な立て直しを行い、セレクトセール前には工場部分を再建して業務を再開させていた。「本社はまだ直していないが、工場が稼動して会社は軌道に乗ってきたところ」(島川氏)との状況だったが、悲願のダービー制覇を夢見て、今年のセールでもまったく臆することなく高額馬を続々と手中にした。その元気に満ち溢れる島川氏の姿を見て勇気付けられ、他の購買者も積極果敢にセールに参加したようにも見えた。
 未曾有の大震災の影響は、今後数十年単位で日本にダメージを与え続けていくことになるだろう。中小企業はもちろん、大企業の経営者ですら将来に大きな不安を抱えている。その不安感が日本国民から元気を奪っている。だが萎縮していたり、"守り"の気持ちばかりが強くなってしまっていては日本経済はさらに沈下し、デフレスパイラルのような状況に陥ってしまう。"なでしこジャパン"のように苦しいときこそ「攻めて攻めて攻めまくる」気持ちが重要なはずだ。
 その意味で、いまや経済界からも注目されているセレクトセールで、主催者も購買者も激しい"攻め"の姿勢を見せてくれたことは、競馬界だけではなく今後の日本にとって極めて大きな意義があったと言えるはずだ。

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