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馬産地往来

2004年6月1日

バルクが生んだ夢の続き

競馬ブームの再来 外厩馬の活躍

後藤正俊

 北海道と全国地方競馬の期待を一身に背負ってダービーに挑戦したコスモバルクだったが、 結果は8着に終わった。 地方馬初の日本ダービー制覇の夢は叶わなかった。 関係者にとっては悔いの残るレースだっただろう。
 前半1000メートルを57秒6と暴走してしまったマイネルマクロスを、 コスモバルクは本能で追いかけてしまった。 五十嵐騎手は内に併走していたメイショウムネノリの後ろに入れて落ち着かせようと考えていたが、 馬場の内側はかなり荒れていて、 そこを通ることにもためらいがあった。
 結果的に外に出して引っかかってしまったことが敗因ではあったが、 1600メートルの直後に2400メートル戦を使ったキングカメハメハはまったく引っ掛かる素振りを見せなかったのだから、 やはり馬の能力の違いというしかないだろう。 キングカメハメハは史上に残る名馬となった。
 だがコスモバルクの登場は、 少なくとも北海道の競馬ファンにとてつもない影響を与えたことは間違いない。 開催が行われていない札幌競馬場には、 JRA札幌開催中にも負けない1万7000人のファンが集まった。 これは昨年のダービー当日よりも25%増の数字だった。
 その大観衆がターフビジョンを見ながら、 コスモバルクが4角で先頭に立つと絶叫し、 直線で馬群に飲み込まれていくと、 競馬場の中に悲鳴が響き渡った。 「さめている」 と言われる北海道の競馬ファンが、 これほど 「熱い」 姿を見せたのはじつに久しぶりのことだった。
 ダービーの売り上げ自体は333億円で前年比98・4%と下がってしまったが、 これを北海道内に限ると102・3%と逆にアップしていた。 コスモバルクの単勝支持率は全国では23・9% (2番人気) だったが、 北海道地区では47・2%と全国の2倍で、 特に札幌競馬場では59・6%という圧倒的な 「1番人気」 だったのである。
 もちろん、 「勝てる」 「儲かる」 と思って買っていた人も多くいただろうが、 「頑張って欲しい」 という応援の気持を込めて買っていた人も少なくないはずだ。 ハイセイコーやオグリキャップの出現がもたらした競馬ブームの兆候が、 いま北海道でも起きつつあるのだ。
 ファンばかりでなく、 主催者の意識も変わってきた。 ホッカイドウ競馬がここまで落ち込んでしまった原因の1つは、 そのお役所競馬体質にあった。 道庁職員が2~3年交代でホッカイドウ競馬事務所に配置され、 運営を行っている。 競馬が好きな人は極めて少ない。
 そのため、 スタッフはもちろん一生懸命に仕事をしようとはしているのだが、 馬券を買ったこともないだけにピントはずれな施策を続けたり、 前例にないことはやらなかったり、 JRAとは比べものにならない運営の甘さがあった。
 だが今回は、 コスモバルクを前面に押し出したPR作戦をじつにうまく、 そして熱心に展開した。 広報担当者は、 ファンが寄せ書きした横断幕を東京競馬場のパドックのもっとも目立つ場所に掲げるために、 金曜から交代で徹夜で並び、 最高の場所を確保した。 以前だったら絶対にやらないような行動を、 自らの意思で行ったのだ。 この気持があれば、 ホッカイドウ競馬の将来は明るいものになるに違いない。
 コスモバルクの出発、 そしてレース後に、 高橋はるみ北海道知事がコメントを発表したことも今までにはなかったことで、 これも存続へ向けて非常に心強い出来事だった。
 これだけの大舞台を経験した五十嵐騎手は、 騎手としてさらに大きく成長したことだろう。 ダービー直後の6月1日のホッカイドウ競馬札幌開催では早くも4勝と大活躍をして、 そのショックなどみじんも感じさせず、 さらにたくましくなった姿をファンの前に披露してくれた。 ダービーの屈辱を晴らす機会はすぐに訪れるはずだ。
 ビッグレッドファームに続いて、 谷川牧場、 社台ファーム、 ノーザンファームなどもホッカイドウ競馬の認定きゅう舎制度に取り組んでいる。 コスモバルク級の馬が再びホッカイドウ競馬から登場することも決して夢ではない。 夢の続きは、 またすぐに訪れるはずだ。

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